灰色の本

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『デリシャスパーティ♡プリキュア』第23話「ここねのわがまま? 思い出のボールドーナツ」:感想

『デリシャスパーティ♡プリキュア』第23話「ここねのわがまま?思い出のボールドーナツ」の感想です。 

良い回だった。落としどころが好き。

 

※記事の投稿予定:

第24話感想→明日(8/27)

明日放送の第25話感想→明後日以降

リアルが忙しくて遅れ気味ですが、よろしくね。

 

■ここねの親子関係の対比となる、ゆいの親子関係の描写が◎

親が「味見させて」って寄ってくる親子関係、良いですね。それを子供側のゆいが「全部作るって決めた」とさくっと断れるのも良い関係です。

親(あきほさん)がさらっと子供のまじわりに入ってきて情報提供をした瞬間にここねの母(はつこさん)が訪れるというのは、展開をメタ的に見ればさくさく話を進めるための仕様ですが、構造としては若干皮肉ですね。良好な関係のゆい-あきほ親子と、そこまでの関係を構築できていないここね親子という対になっているのですから。

(実際、ゆい親子については後ほどここね自身が「わたし、はじめてゆいとゆいのお母さんを見て……こんな親子もいるんだって驚いた。友達同士のようにお喋りして」と言及しています。)

 

実際、その後に展開される家族模様はよろしくない状況です。何を話していいか分からない……という問題にされていましたけど、ここねが話そうとしているのに父親が食い気味に話してきて話を潰してしまうような様子も見られました(総合的な話を置いといてその部分だけ見ると毒親仕草っぽいです)。

 

食事の風景だけを見ても、父親が寿司、ここねがパン、母親が昼ご飯でおなかがいっぱいだからと言って食べない。一緒にご飯を食べているのになんともちぐはぐな家庭です。これが現実の家庭だったら「そういうこともたまにはある」で済むでしょうが、創作上の家庭としては明らかに「家族関係が上手くいっていない」ことの暗示ですね。

 

>ここねがあんなふうに笑うなんて……。

これもしんどいセリフですね。ここねの(現在の)笑顔さえ知らないんですよね、ここねの両親は。

 

 

■ゆいとらんの、一般的で普遍的なごくごくささやかな『デリカシーの無さ』について

ここねに対して「きっとおうちでも、家族ですっごく美味しい料理を食べてるんだね!」とゆいが言い出してしまったこと、それにそのままらんが乗ったことについては、デリカシーがないと言えばそのとおりです。でも残念ながらゆい(とらん)のそのごくごく軽微なデリカシーの無さは『現実』なのでしょうね。ゆいは親密な家庭環境で育っていて、らんも家族で一緒に料理修行の旅をしていたような家庭です。

ここね本人がそこまで親を嫌っていないこと(親が不在がちなことについて「さびしい」とも自覚できていなさそうなこと)、親側もここねとの距離感に困っているだけでちゃんと和解できる関係だったので、ここね本人の心を傷つけることもたまたま無かったから良かったですけどね。

 

ゆいとらんの軽微でそして普遍的なデリカシーの無さは、ここねが例えば仮に「ああ、親も悪かったんだな。自分の親だし、良いところもある親だけど、子供を置いてずっと外に出ていたところなんかはちょっと好きになれない人だな」と思うようになる日が来れば、静かに戦っていかなければならないものになるでしょう。ゆいとらんが悪いというより、『普遍的』な価値観とここねの現状にギャップがあることによる軋轢なのですから。

そしてその『普遍的』な価値観をそのまま呑み込んだゆえのごくごく軽微な一般的なデリカシーの無さを持つゆいとらんもまた、そのごくごく軽微で一般的なデリカシーの無さによって撃たれる日がいつか来るかもしれませんし、ここねとは別のところで戦っていかなくてはならないのかもしれません。

(ゆいはさておき、「自分は変なのではないか」ということに悩むらんは既にその戦いを始めている側面もあると思います。さて彼女は、彼女が戸惑うような周囲の視線や、今回彼女が何気なく言ってしまった言葉が同種のもの――偏見や固定観念によるものであることに気づけるでしょうか。)

 

 

■「さびしい」に自覚がなかったここね?

しかし、あまねの言葉への反応を見るに、ここねって自分が「さびしい」ことが分かってなかったんですね。初期のここねは友達がいないさびしさから暴走していて、それは暗に「親がいないさびしさ」から来ているものだというのは視聴者的には分かり切ったことだったと思いますが……自覚がないほうの子とは知らんかった。

個人的にはちょっと解釈違いではありましたね(俺は、きちんと筋道が立っているなら解釈は複数あって良いと思うタチでもありますが)。ここねは「みんなと食べるから美味しい」というテーマを持って動いているキャラです(※)。「さびしい」ことへの自覚がなかったら、彼女自身がそのテーマを抱えるのがちょっと筋が悪くなる気がします。……まあでも、「ちょっと」だけですね。ここねが「さびしい」ということをはっきり自覚できていなかっただけで、内心で感じていたのは描写から見て確かなのですから。

(※みんなと食べて緊張して味が分からなかったというエピソードもありますが、それは同じテーマを逆側から深めていこうとしたに過ぎないと思います。「みんなと食べるから美味しい」というテーマに賛意を示すにしても疑問を呈するにしても、テーマからは離れていないということですね。)

 

 

■あまねとらんのやりとりが可愛いし芸が細かい

ここねの相談に乗るシーン、あまねとらんのセリフ。

>「私も、家では兄たちにあれやこれやと甘えてばかりだな……。」

>「ええ~あまねんどうやって甘えるの?」

>「ひ、秘密だ!」

何もかもが可愛い(笑)。ちゃんと細かいタイミングで、キャラ描写も兼ねた息抜きのギャグを挟んでくる。上手い。

更にはこの「甘え」という単語が、本筋のここねの話に繋がってくるのも上手いです。

 

 

■真面目な良い子という心を持って生まれたここねの戦い

わがままにならないようにと言われたここね……という、ささやかなエピソードを出してきたのは好感です。

あれ、おばさんも悪意があったわけじゃないんですよね。最初から責任を取る気がない発言という意味では悪いですけど、そもそもそんなに刺さるとも思ってない。先に述べた意味合いとは少し違いますが、これも――ごくごく軽微な一般的なデリカシーの無さ、『現実』です。

そして、そんなごくささやかな出来事が『問題』になったのは……ここねがおばさんの言葉を真に受けるような、真面目な良い子だったからです。善良な子だったという彼女の特性、それこそがあの出来事を『問題』に引き上げた、最も影響力が大きいファクターなのだと思いました。

 

悪意が無くとも悪かったのはおばさんかもしれない。ですが、そういう人もいっぱいいる、悪意のない悪が普遍である現実をここねも渡って行かなくてはならない。他人の何気ない一言を真に受けてしまう、真面目で善良な心を持ったままにです。

それは「おばさんが悪い」で断罪して終わりになどできない、ここねの戦いなのだと思います。

 

……それはそれとして、おばさんはタンスのカドに小指ぶつけてくれとちょっと思うし、ここねに言ったような「悪意はないんだろうけどなんかモニョるしなんか傷つく、けど言い返すのもおかしいようなこと」を五十回ぐらい言われてくれねーかなとは思います。人間だもの。

 

 

■ゴーダッツ様に心酔する描写のブンドル団が面白い

ブンドル団のシーン。「どうせ俺たちのことなんか忘れてるんだろう」というナルシストルーのセリフに「そんなことはない」とゴーダッツ様が現れます。

「ゴーダッツ様!」と呼びかけるセクレトルー&ナルシストルーの声も表情も本当にうれしそうで、驚くと同時に興味深かったです。

 

彼らは本当にゴーダッツ様に心酔してブンドル団にいるんですね。セクレトルー&ナルシストルー自体は仲が悪そう(少なくとも仲が良くはなさそう)なのに、ゴーダッツ様のカリスマ性とか人徳とかそういったもの、トップの求心力でまとまっている組織であると。

全員に手柄を取り合う・手柄を優先する傾向が見られ、出世の野心があるように見受けられるのは、出世が目的というより「トップに気に入られたいから」=「ゴーダッツに気に入られたいから」なのでしょう。結果的に出世がついてくるのかもしれませんが、よく考えれば彼らの口から直接的に「出世がしたい」という話が出たことはないと思います。

 

ゴーダッツ自身のセリフも、下記です。

>お前たちのことはずっと気にかけている。これからもレシピッピ集めにいそしみ、レシピボンを満たすのだ。頼んだぞ。

短い尺の短いセリフの中で、ちゃんと気にかけてくれてるし信頼してくれてるじゃん。良い上司か? 良い上司だったのか、ゴーダッツ様……。

 

更には、あのナルシストルーが戦闘中

>「見ててください! ゴーダッツ様!」

>「ゴーダッツ様! これでボールドーナッツのレシピッピはいただきです!」

と上司に心酔した部下のセリフを言い続け、すごくニッコニコでノリノリだったのが面白かったし興味深かったです。

 

 

■ここね親子の和やかな和解がしみじみと良い

今回、ここね親子の仲が和やかに落ち着いたのがとても良いなあと思いました。依然問題がある状態ではありますよ。多分、両親が海外を駆けずり回っててろくに家に帰ってこないことは変わらないですし、「話すことが分からない」=話の内容なんか気にしなくても良いような関係が構築できていないということも一朝一夕で解決はしないでしょう。

 

でも、少なくとも今回は和やかに落ち着いた。ここね側が実はあまり親自身にはアクションをしていないというのは子供側が主役であるアニメ作品としてどうなのか……というのはあると思いますが、むしろ俺は『親が悪いわけではない』という設定を前提としたお話で『親側がちゃんと歩み寄った』というところに落としてくれたのは非常に良かったと感じました。

 

 

■そのほか

・ミートソースにローリエ入れるの、本格派ですね。本格派というほど本格派ではないのかもしれませんけど、端折っても良い工程、端折っても良い材料をちゃんと入れているところ、メタ的には「それをちゃんと映しているところ」には好感が持てます。

あとさりげないところですが、放置したミートソースが「焦げなかった」=食材を無駄にする描写にならなかったのは良いですね。「あ、食材を無駄にする描写をしたくなかったから間に合ったことにしたな」ってなんとなく察しちゃって若干苦笑しましたが。

 

・小姑みたいな着眼点なのでちょっとヤなんですが、ここねちゃん、ご飯の後に食器洗いはしませんでしたね。いや、責めたいんじゃなく、それもお手伝いさんがやってくれるのかな~と思っただけです。日々の食事も、彼女が用意しているわけではないようですしね。

……住み込みのハウスキーパーさんじゃなくて、通いの方ってことなんですかね? あるいは、住み込みだけど食事は一緒に取らないタイプ? 一応マナー的には一緒に取らないのが正解寄りな気がしますが、子供のここねが一人で食べているならちょーっと融通して一緒に食べてくれても……。まあそこはご家庭の方針次第ってところではありますね……。

 

・ここねがみんなに相談して解決しようと発想できるようになったことは、間違いなく初期のここねからすると大成長なんですよね。偉い。

『デリシャスパーティ♡プリキュア』は、友達同士でちゃんと言葉にして話し合うこと(また、話し合うことで何かの問題を解決をしようとすること)を至上とする空気が作品に一貫して存在しています。児童向けアニメの掲げる信念としては良いと思います。現実にはそれだけでは上手くいかないことが多かったとしても、まず最初に取るべき手段が「相談、話し合い」なのはだいたいのケースで真っ当ですからね。

そんな作風ゆえに、ブラックペッパー(としての拓海)が未だにプリキュアたちとまともにコミュニケーションを取ろうとしていないことが気になりますが……?

 

ツインテールここね、可愛い。

 

・前回出てきたメッセージボトル→ここねは両親にメッセージボトルを送った→それを見た両親(母親だけ?)はここねを心配していた。

……と、前回と話がつながっているのも地味ながら良いですね。

 

・ゆい母のセリフ。

>わたしの母がよく言ってた。ごはんは笑顔だって。

このセリフには感心しました。つまり、祖母→母→娘と、三代で考えを受け継いでいるわけですね。なるほど、ゆいとゆい母の仲が良いのも分かる気がします。