灰色の本

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『デジモンゴーストゲーム』第30話「悪友」:感想①

デジモンゴーストゲーム』第30話「悪友」の感想①です。

カヨノが良キャラで可愛いからもうなんでも良いよ。

 

 

 長くなったので記事を①②に分割しています。 ①はカヨノと今回のゲストデジモンに関連する話です。②はそれ以外の話です。

 

■良回だが主人公達は蚊帳の外

今回、良かったです。良かったですけど、うん……もういいよ、うん。

つまるところ、第24話「歪ンダ愛」と同じですよね。主人公達が中心じゃなくて空気だから見やすいって回です。

 

ただまあ、ちょっと自分、反省しました。第24話「歪ンダ愛」のときは「主人公達が空気だから見やすいだけじゃん」ってキレ気味だったんですけどね。

つまり、これが、『ゴーストゲーム』の魅力だと制作スタッフは考えていると思って良いんですね? 主人公達の魅力を別に掘り下げなくても良い。ホラーネタを主役にすれば一話作れる。いつまでも話も掘り下げも進まなくてもそれで良いと。主人公達の掘り下げを一向にやらない状態で、主人公達が狂言回しの立ち位置に下がる回を複数回やっても何も問題ないと。

 

そういう制作手法なんだったら認めます。認めますよ。それを認めた場合に湧き上がってくる、「じゃあ単に作り方が下手なんじゃん」などの問題点は過去記事で語っているとおりですが。『進まないタイプの物語ですよ』という提示が下手すぎるとか、主役であるホラーネタの練り方も浅いとか、ホラーネタ=脚本が主役なのに脚本にも粗が多いとか、デジモンのパートナーとの絆や成長を描くデジモンシリーズとの相性最悪じゃんとか。

 

……ヒロ達のキャラの深掘りが見たいって言うのは、そんなにも高望みな希望なんでしょうか。

前回第29話「妖花粉」の先輩成長回(先輩の深掘り)はすごく良かったんですけどね……。

 

 

■我儘で著しく独善的だがさみしがりやな、幼すぎる少女カヨノ

カヨノは、尺の都合上どうしても限界はありますが、『ゴーストゲーム』作中で一番と言っていいほど深みがあるキャラであるように思えました。

冒頭の初登場から、裕福寄りなおうちで甘やかされているのだろうことが分かるやや豪華な部屋に質の良さそうな綺麗な衣服、そして『癇癪を起こしてその綺麗な服を破り捨てているシーン』から始まるのですからなかなか衝撃的で目を引く登場です。

 

(服を破り捨てているときの声を除いた)初ゼリフもこうです。

>みんな、私のことなんて忘れちゃったんだろうな……!

恐らくは自分で勝手に癇癪を起こして部屋に閉じこもっているだろうことが冒頭だけでもなんとなく推測できるのに、この一方的に他人を非難するセリフと口調です。何かあって拗らせてしまった(雑に言ってしまえば「めんどくさい」)キャラであることが短い尺でよく伝わってきます。

 

一方、その後SNSに投稿されたアオイの写真を見たときに見せた涙はなんとも悲しく、(絶対にめんどくさい拗らせワガママキャラなのは分かり切っているのに)不思議なほど同情心が沸きあがってきました。

いやあ、掴みから凄い。掴みからきちんとキャラが立っています。掴みの時点でちゃんとキャラを説明しようという意図がきっちり働いています。

 

 

めっちゃ悪い子ではあるんですよ。目の前で怪物にパパを人形にされてもパパの心配をしない、できない子ではあります。

カヨノは人形にされた人間への心配が出てこない、不快な人間が人形にされたことに無感情なまま人形遊びを始めるような、中学生という年に相応しくないいびつに幼い人物です。

心配して訪問してくれたアオイを人形にしたときにはついに「アオイちゃん人形♪」と嬉しそうな声をあげ、「なんか……生まれ変わった気分!」とまで言ってしまう、とても子供じみた人間なのです。

 

でも、カヨノ像としてはその『幼さ』は正しいです。うるさい親=自分に寄り添ってくれていないと感じる人物がいなくなるのは良いことだと思っているし、ワルもんざえモンが「カヨノいじめるやつ許さないぞ」と、エクスティラノモンが「(僕は)カヨノの本当の友達だよ」と言えば期待に満ちた目で見上げてしまうような子供です。他人が思い通りにならないと思って、部屋に引きこもって癇癪を起してしまうような子供なのです。

 

今回第30話の物語は、そんな拗らせた子供であるカヨノが子供であるがゆえに事実上の指示犯となって凶行を起こし、子供である自分から一歩踏み出す物語です。

 

 

■カヨノの魅力と噛み合うキャッチーな良デザイン

また、カヨノはキャラデザインも非常に可愛らしいものだったと思います。『ゴーストゲーム』でも珍しいフリフリひらひらの可愛らしく幼げなデザインの服装が目を引きました。

特に目立ったのは、アオイが訪問したとき(~ワルもんざえモン達の改心→人形化解除まで)に着ていた、(雑な表現で申し訳ないですが)和風黒ゴスロリみたいな衣装ですね。服装だけでもキャラ立ちに非常に貢献していたと思います。

 

そして、作中で決して良い性格ではない&良い振る舞いをする子ではないことを表わすかのような、怠惰で不機嫌そうな、一方で無感情な半目の表情をよく見せます。

これも『ゴーストゲーム』では珍しい表情描写で、嫌な光を放つ目でありながら素のカヨノの可愛らしさに押されて強引に可愛いし、キャラが良く出ていました。

 

カヨノちゃんは、本当にキャラデザ勝ちだと思います。表現したいキャラの個性にきちんと噛み合ったデザインが作られていると思います。この可愛らしい容姿で、冷たいけど軽い声色で「(人形にしようと提案するエクスティラノモンに対して)そうね……やっちゃおうか」と言ったり、無造作に人形を積み上げて蹴飛ばしたり、「もう人間なんていらないわ。どんどん人形にしちゃって!」と嬉々として凶行を指示したりするんですよ。オタク用語で言ういわゆる『性癖』にぶっ刺さる人もいるんじゃないかな。気合が入っていてとても良かったです。前回の「オタフク状態で良いから輪郭を丸っこくしておけば子供になるだろう」みたいな雑なキャラデザだった結菜ちゃんにその気合の一部を回してくれ。

 

しかし不思議なものですね。公式で恐らく『良い子』だと想定されて描かれているヒロやルリより、明確に『悪い子(反省が必要な子)』だと想定されて描かれているカヨノのほうが共感しやすくてキャラデザインも明確で魅力的だなんて。

ヒロやルリも下手に『良い子』だと思って描かなければ良かったんじゃないですかね?

 

 

■※でもカヨノは悪い子だよねというリマインド

いや、重ねて言うけど、カヨノちゃんはめっちゃ悪い子ではあるんですよ。

ルリと同年の中学二年生であるはずの子ですが、カヨノはどう見ても中学二年生の知能の持ち主ではありません。今回の人形化騒動を引き起こしたカヨノは、普通の作劇なら「幼稚園児or保育園児~小学校低学年の年齢で、ものの道理が分かっていない」とか「もっと絶望的な状況にあったために付け込まれた」「洗脳などの技の影響を受けていた」などと設定して『カヨノが人間を人形にして回ったのは本人の性質が邪悪だからではない。仕方なかった』と描くのが一般的です。

やらかしたことの酷さの割に改心が早すぎるのも、『ゴーストゲーム』では割といつものこととは言えど悲惨です。そんなに簡単に改心ができるということは、つまり元々大した動機で惨劇を起こしていたわけではないということなのですから。

 

正直、『ゴーストゲーム』を見てるうちに感覚がマヒしているというのはあると思いますよ。カヨノは『ゴーストゲーム』作中では比較的良い子(同情できるバックグラウンドがあって改心ができる子)だから評価してしまうところはあると思います。

でも、それでも良いんじゃないですか。比較的良い子なんだから、比較的良い子ですねと指して誉めてあげたって。

 

 

■謝らなかったが、改心を誠意の態度で示したカヨノ

『ゴーストゲーム』は、迷惑をかけた加害者が謝らない話です。野良デジモンという異文化の存在が加害者であるときはそりゃあ『謝る』という発想からしてないのだから当然なのですが、人間側が叱責することすら基本的にありません。メインメンバーに含まれるデジモンや比較的良いデジモンでもだいたい謝りません。というか、人間も謝りません。かなり気になります。

 

なので、今回のカヨノが『謝らなかった』ことも、全く気にしないというのは不可能でした。彼女は迷惑をかけた人々に直接頭を下げて「ごめんなさい」と謝ることはしませんでした。

 

しかし。

彼女は傷つけた人形たちを一生懸命、黙々と直していました。

人形から元の姿に戻ったアオイとルリに、「今日は、心配して来てくれて……ありがとう」と言葉を向けました。彼女にとってはとても勇気が要る言葉だったと思います。

 

それは、実質の、そして精いっぱいの詫びだったのではないでしょうか。

 

被害者が人形にされているあいだの記憶も残っているならもっと大騒ぎになったでしょうし、彼女ももっと公的な場に出て謝罪するべきだったと思います。

ですが、被害者達には人形にされていたときの記憶は残っていませんでした。

ならば人形にされていたという事実を改めて掘り起こすよりも、「来てくれたアオイ(とルリ)の好意を改めて受け取って感謝します」という表明こそが一番の謝罪になる。そういう状況だったと思います。

 

カヨノは反省し、そして勇気を出しました。それで良いと思います。

まあ……そこで「人形にされていた記憶は残っていなかったんだから直接の謝罪はしないほうが良いよね」という状況設定をする制作スタッフについては「ご都合主義だなあ」「逃げの姿勢だなあ」とはとても思うんですが……。まあ、流石に重箱の隅つつきでしょう。

 

 

■カヨノの勇気は事態収拾には特に関係ないという事実

けどさあ。別にカヨノの勇気がワルもんざえモンやエクスティラノモンの凶行を止めたっていう筋書きではないんだよね~~~~~そこが残念。

まあそりゃ、『ゴーストゲーム』の設定なら疑似デジタルワールド化機能によってカヨノは戦闘の蚊帳の外に追い出されるしかないんだけどさ。デジモン達の戦闘に関われるわけないんだけどさ。もうちょっとカヨノちゃんの頑張りの出番が欲しかった。

 

 

■イヤらしい賢さを持つワルもんざえモンとエクスティラノモン

ワルもんざえモンとエクスティラノモンは『ゴーストゲーム』的にはよくいる害獣でしたが、他の連中は自分の能力のゴリ押しによって悪事を働く脳筋がほとんどの中で「さびしがりで他人を必要としているカヨノ」につけこんでくるという厭らしい頭の良さがありました。そういう意味では第15話「占イノ館」フィレスモンや第25話「紅ノ饗宴」ヴァンデモンといった格上デジモンよりよっぽど賢くて陰湿でした(フィレスモンとヴァンデモンがあんまりにも実際にやってることが小物すぎるというのはありますが……)

 

しかし、カヨノの家を隠れ蓑にしていた頃はともかく、その後はさくっと外に出て人間を人形にしまくって暴れていたので、そもそもカヨノにつけこむ必要があったのかは謎です。そもそも『人形』という特性を持って生まれているからご主人様を必要としてしまうとか、そういう事情? まあ、『ゴーストゲーム』のいっつもの詰めの甘さです。

 

 

■賢いけど小物であり、カヨノを利用していただけのワルもんざえモンとエクスティラノモン

カヨノと分断されて、ぺらぺらと「利用しやすい奴なら誰でも良かった」と喋っちゃうワルもんざえモン達、小物~~~(笑)。でもこいつらは元々小物キャラという意図なんだと思うので、これはこれで良いと思います。

 

あ、でも、これは単なる好みの話なので読み飛ばしてくれて良いんですけど、ワルもんざえモン達が本気でカヨノのためを思って凶行に走っているという味付けでも良かったな~そっちも見たかったな~~~。カヨノを「一緒にワルをする友達」だと思っているワルもんざえモン達(害獣)、見たかったな~~~。それでこそサブタイトルの「悪友」が活きてくるんじゃないですか?

けどその方向に話を修正するとカヨノのキャラ性も変わってくるだろうし、カヨノとワルもんざえモン達が心底結託してしまうから更に解決困難な話になって1話に納めるのがきつくなるだろうなあ。尺との兼ね合いも考えると放送されたものが最適解だったかもしれません。

 

 

■突然現れたもんざえモンの『天使』っぷり

もんざえモンの『天使』っぷりには驚きました。性格が天使と言っているのではありません。神の指令(ワルもんざえモン達の鎮静化とカヨノの救済)を果たす駒のような役柄だな、と思ったのです。人格が与えられているだけで、デウスエクスマキナ的と言ったほうが分かりやすいでしょうか。なんでか、カヨノの事情も全部知っていたみたいですしね。

 

もんざえモンは「ラブリーアタック」と可愛いことを言っていますが、ワルもんざえモン達のその後を見る限り強制浄化・強制改心といった効果がある技という扱いのようなので、そこも『神』サイドっぽいです。メガテンのロウルートから出張しに来たんでしょうか。

身も蓋もないことを言えばカヨノが改心したのも「ラブリーアタック」による強制改心だと捉えられなくもない。

 

実際、もんざえモンって何をしに来たんでしょうか? 「僕は彼ら(※ワルもんざえモン達)を止めないと」と言っていたので、カヨノの救済や人間の被害防止はおまけで、ワルもんざえモン達を止めることが目的だった様子ではあります。しかし、ワルもんざえモン達を改心させたところでもんざえモンに何の得があるのでしょうか。

ワルもんざえモン達は「またやられた」「また間違った」と言っていたので、もう何度ももんざえモンはワルもんざえモン達を止めている様子です。対立して生まれているワルもんざえモンを止めること自体にもんざえモンの目的がある、ということでしょうか。