灰色の本

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『デジモンゴーストゲーム』第44話ごろのぼやき

デジモンゴーストゲーム』第44話ごろのぼやきです。

マジでただのぼやきです。第44話感想を書いてる最中に書いたものを独立させたものです。

 

 

 

『ゴーストゲーム』。そろそろもう、進展が無さ過ぎて書くことも無くなってきたような印象です。ツッコミの内容すらマンネリ化してきているというか。中の人(グレイ)が最近多忙で、アニメから情報量をより多く受け取るための余裕が無いことが原因の一端にはあるのかもしれませんが……エスピモンをわざわざ新キャラとして登場させたのに、エスピモンがらみで新しい話づくりをしようという気が全然感じられないのが悲惨です。自分の過去記事を見ると、同じツッコミであってもよほど活きが良いのが悲しい。最も、より悲しいのは「伏線であると信じていたので少しワクワクしていた」らしい箇所が特に何の伏線でもなかったことを今となっては知っていることですが……(2クールで出てきた情報に顕著)。

 

↓もっとぼやき

前にもどの記事だかでちらっと書いたような気がしますが、自分は『ゴーストゲーム』の感想記事が読みたいのにまともな長文記事が無さすぎてこのブログ立てたんですね。肯定でも否定でも良いから、「どこがどうだからどう思った」という根拠が納得できるレベルできちんと書いてある文章が読みたかったんですよ(まあ、できれば倫理観の無さにまともにツッコミ入れ続けてくれる文章が良かったですけど)。

なのにそもそも長文感想が無さすぎるし、長文感想かと思ったらあらすじばっかで実質的に『感想』の部分はろくになかったり、『ゴーストゲーム』が好きだからor嫌いだからという熱意有る文章じゃなくて『デジモン』シリーズファンの惰性で書いてるだけっぽそうな文章だったり……。

まあね、仕方ないんですけどね。ぶっちゃけ人気ないアニメですしね。アニメ初代である『デジモンアドベンチャー』は大人気を博した伝説のアニメであっても、その後もアニメシリーズは一応たびたびやってるんだよなんてどれだけの人が知ってるんだって話ですし(『デジアド』の続編作品なりリブート作品なりが悲惨な出来だった、という負の方向で噂になったことで逆に知っている人も増えたんじゃないかという気はしますが。俺も当時デジモンに興味なかったのに『デジモンアドベンチャーtri』の炎上騒動だけは知ってましたし)。シリーズファンにしか興味を持たれてないのに、シリーズファンにも「どうでもいい」扱いを食らっていて好かれてないって印象ですし。

ツイッターは誰をフォローするかやどんなワードで検索をするかで全く景色が変わってきてしまう(特に『好き』『嫌い』がはっきりしていて独自の見解をしっかり持っているコアファンほど検索除けをして話す傾向にあるので単純な検索では見つけられない傾向になる)のであまり引き合いに出したくないのですが、普段は比較的どんな作品も褒めているようなシリーズファンの人が今作のことは皮肉交じりに指していたり、文句を言いつつもずっとシリーズを追い続けているようなガチファンの人が「これ以上見る価値を感じない」と脱落してたり脱落宣言さえせずに無言で離れて他アニメに楽しそうな感想書いたりしているのを見ると、流石に思うところはあります。

 

正直ね? 本来的にはどう考えても俺が『デジモンゴーストゲーム』を見続けるのは時間の無駄なんですよね。当たり前ですよ、もっと素直に面白い作品を探して見たほうが絶対良いです。ツッコミすらマンネリ化してきたってことは作品側に進歩がないってことで(※)、更に言えば「反面教師」としても見る価値がなくなってきているということです。

 

※『ゴーストゲーム』の悪さは制作側が悪さを自覚してないからこういう出来になるんだろうタイプの悪さなので、自覚してないのに進歩もクソもないですが。……いや、初期と比べると主人公たちの犯罪率がごりっと減ったあたりはもしかしたら何かしらの改善が内部であったのかもはしれないですよ。でもそんな、普通なら最低限の担保がされているべきところの評価がマイナスだったのがゼロになったからって面白くはならないですし。そもそもゼロになりきってなくてまだマイナスですし。より面白さに直接寄与する「キャラ立ち」とか「主人公の目的・動機や葛藤」は何も改善されませんし。身も蓋も倫理観も無いことを言えば、そもそも話の本体が最強に面白いものであれば倫理観が無かろうと「あの作品は倫理観はトンチキだけど面白い」っつう評価になって、倫理観の無さもトンチキ成分扱いで許されちゃうんですよね(もちろん状況によりますが)。面白くないから倫理観の無さが響くんですよ。

 

見続けるのは時間の無駄だ。それは分かってます。ていうか俺の場合、視聴時間だけじゃなくて記事を書く時間も含まれるので余計に無駄です。分かってます。

でも最初の3話ほどの面白さと、魅力的な舞台設定(デジモンという既存のモンスターを怪異として解釈するスタンスやホログラムを土台とする近未来舞台など)にうっかり惹かれてしまい、全体を見ればほとんど触れられていない話題だろうと「人間と(今作では相容れない害獣であるが人類の隣人であることは間違いない)デジモンの架け橋」「怪異の解決のために殺害という手法を取って良いかどうか」ということについてヒロが出す結論を見届けたいと思ってしまって今に至ります。まあ……多分、見てて納得が行くような「ヒロが結論を出すシーン」なんて恐らく存在しないんだと思いますけど……。というか、仮に結論を出すシーンやその結論が良かったところで、「そんなにお偉いことが言えるんなら途中経過はなんでだらだらしてたんだよ、説得力がねえんだよ」ってなっちゃうのがもう分かり切ってますしね……。

多分、新作なり過去の名作なりを見たほうがよっぽど有意義なのは分かっています。でも、俺が『ゴーストゲーム』について感想書かないと、俺が満足できるレベルの『ゴーストゲーム』の感想~批評は恐らくこの世に存在しないままなんですよね。その自家発電の悲しさが分かりますか。分からなくて良いです、悲しいから。