灰色の本

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『デジモンゴーストゲーム』第24話「歪ンダ愛」:感想

デジモンゴーストゲーム』第24話「歪ンダ愛」の感想です。

綺麗な物語でした。ただし、これが単発回ならば、ですが。

 

 

■単体で見れば、良い物語

見やすくて良い回だったと思いました。前回もそこそこ見やすい回だったと思うのですが、前回のように「なんか今までの描写が足を引っ張っててモニョる」ようなところも少なかったです。

怪異の原因となるデジモンについても(これが人間キャラで同じことをやっていたらただの狂ったストーカーになってかなりきついものの、デジモンという異文化の存在だとしたら)動機が『恋(または執着)』と分かりやすくて共感しやすいものでした。狂った恋の果てに身を引き、事実上の自刃をして果てたアヤタラモンの結末は悲しくも美しいものだったと思います。王子を刺し殺せずに泡になることを選んだ人魚姫のように。

 

好きですよ。今回の話、自分は結構好きです。

この回単体だけで見て、長期アニメの1話だと思わなければ

 

 

■共感できる(ほうの)デジモンの登場が遅すぎる

これ、3クールも近づいてからやるような話なんでしょうか。

 

動機が共感できるデジモンの初登場がこんなに遅くて良いんですか? 動機がちゃんと描かれてキャラ本人も登場したという意味では、今回のアヤタラモンは前回のモルフォモンよりも『助けたくなる』キャラだったと思います(前回のモルフォモンは囚われのお姫様役でしかなく、モルフォモンのキャラ自体は描き込まれていません)。

 

個人的には、こんな「恐ろしいが、共感はできるほう」のデジモンの話は、1クールでヒマしてた虚無期間のあいだのどこかでやるべき話だと思いました。

1クールでは怪異の原因となったデジモンで共感できるキャラがおらず(誤解してただけで悪意はなかったデジモンもあまり共感できるキャラではなかったと思います)、そのくせ被害は大きいので「デジモン=怖い」になってもおかしくない状態でした。そうならなかったのは単に主人公のヒロ達に「自分が死ぬかもしれない」という恐怖の感情も「どこかで他人が死ぬかもしれない」という人命を尊重する精神も欠落していたからというだけです。

 

1クールなどの早い段階で「共感できる理由で凶行をしている」デジモンを出して、デジモン側にも感情移入しやすい構造にすべきだったと思います。

(※第20話「炎ノ監獄」でも「共感できる理由で凶行をしている」ほうのデジモンが出てきますが、どちらにしろ遅いです。また、第20話のデジモンは自分達がデジタルワールドに帰りたいからその目的のために手段を選んでいないだけで、今回第24話のように怪異を起こすこと自体が一種の目的になっているわけでもなく、被害が出ることを気にしていないわけでもありません。)

 

 

■人間とデジモンの架け橋になるんじゃなかったの?

この話をやるのが遅い理由はまだあります。

今作が何クール続ける気でやっているのかは把握していないんですが、4クール作品だとしたらもう折り返しに入りつつあるわけですよね。

3クールも近づくこの段階で、『デジモンと人間が和解に失敗し、デジモンが事実上の自害を選ぶ』エンドなんてやってて良いんですか?

そりゃ一話単位で見ると、創作としてはアヤタラモンに自害させたほうが綺麗ですよ。デジモン側に自滅してもらったほうが「優人はどうなった?」と人間社会で騒がれることもないし悲恋として綺麗に落とせる話ではあるけど、『ゴーストゲーム』という大きな物語はそれで良いんですか。

 

結局『ゴーストゲーム』って、人間とデジモンの折り合いを探していく物語なんです。ボコモン先生の言う「人間とデジモンの架け橋が必要」というのは、つまりそういうことであるはずです。

その折り合いを諦めさせて、「俺たちは共存できない」で一方(デジモン側)の自滅エンドなんて、実質3クールに入った段階でやってて良いんですか? やるならもっと早くやって、ヒロ達に「今回は悲しい結果になってしまったが、次に同じような悲劇を起こさないために自分達には何ができるだろう」と考えさせるべきだったんじゃないんですか?

 

しかも今回のヒロ達は、アヤタラモンが死んだことについて特に何も感じていません。流石にアヤタラモンの死亡シーンを目前にしているあいだは暗い思いがあったようですが、アヤタラモンをどうするべきだったかなどの思いを明言することはありません。そして、実際、喉元過ぎれば熱さを忘れたように見えます(根拠は後ほど述べます)。

ヒロ達の心配はアヤタラモンにというより、『人間である優人が、事件に巻き込まれたこと』に向いているように見えます。優人のアフターケアを気にしているだけなのです。

 

 

さて、先ほど「今回は悲しい結果になってしまったが、次に同じような悲劇を起こさないために自分達には何ができるだろう」という流れにすべきだったと自分は言いましたね。

これって、ほとんど第20話「炎ノ監獄」の内容なんですね。

つまり今回第24話は、第20話「炎ノ監獄」でやったことから退化してるんです。第20話ではデジモン側の苦しみにも目を向けられていたヒロ達なのに、第24話ではそれができず、目の前でアヤタラモンにみすみす自害を選ばせてしまったのです。

 

 

話としては見やすかったです。

あそこでデジモン側であるアヤタラモンが自滅してくれるのは「今回の怪異デジモンであるアヤタラモンと、そのメイン被害者である人間の優人の二人きりの話」としては綺麗です。

 

で、その外周で傍観者をしていた主人公・ヒロ達はそれで良かったんですか、という話です。あんたら、何のためにこの物語にいるの?

 

 

■今更『怪異の後、被害が治らない』をする意味

今回の怪異が『治らない』のマジでやばすぎるでしょ。スタッフ何も考えてないでしょ。びっくりしたわ。

 

今までの怪異って、整合性を無視して『事件が終わると治っていた』んですよ。なのに今回治らなかったら、「じゃあ今まではなんで治ってたんだよ」になるじゃないですか。

逆に、事件解決をしても怪異の悪影響が治るか治らないか分からないのなら、ヒロ達は『悪影響の治療法』をも探しながら戦っていかなきゃいけないことになるじゃないですか。過去も本当は治療法を探しながら戦ってこなきゃいけなかったのに、何も気にしてこなかったってことになるじゃないですか。いざというときに治療法を確保するため、マミーモンにももっと積極的にコンタクトをとっておくべきだったのに今まで無視していたということになるじゃないですか。せっかく第2話という早い段階でマミーモンと出会っていたのに。

 

今回の怪異はアヤタラモンの体液(と思われる何か)を飲まされたことによる怪異です。アヤタラモンが死んだから効果が消えて、植物に変化していた人間の身体も元に戻りました、万々歳。それで済ませて良い話ですね。

 

でも、そういう『事件終了後に人間が回復する』筋道が立たなさそうな怪異って、今までに結構ありましたよね。

第3話「ラクガキ」の怪異は、原因のデジモン(ドラクモン)が結局は反省してないのに全員の影響が無かったことになりましたよね。中には、怪異にさらされたあと『交通事故に遭った』という形で被害が出た人もいたのに、まるで交通事故に遭ったという事実自体が無くなったかのように怪我が無くなりました。

第16話「人喰ノ森」の怪異は原因のデジモンジュレイモン)が反省のポーズすら取っていません。ただ追い払っただけで、何故か既に捕えていた人間達を全部解放していってくれました。ジュレイモンの話を素直に聞くなら、捕まっていた被害者達はじわじわと養分にされていたはずなのに、被害者達は憔悴した様子すらありませんでした。

 

わざわざ被害者を回復させて去っていく必要も善意もあったとは思えない連中の被害者が、今まで整合性を無視して回復してるっていう実績があるんですよ。

なんで今回の被害者は回復しなかったんだよ。

 

しかも、わざわざ『アヤタラモンの被害者はアヤタラモンが死んでも回復しなかった』という設定にした理由が、

・マミーモンを名前だけ出したかったから。

・例によって先輩いじめをしたかったから。

のどちらかとしか思えないのがまた最悪すぎて目を覆います。

 

というか、先輩いじめをしたかったから治療薬を注射されるシーンを描いただけで、そのシーンが『アヤタラモンの被害者はアヤタラモンが死んでも回復しなかった』という意味になると気づいてすらいなかったんじゃないでしょうか。最悪すぎます。

 

 

■先輩が治験に駆り出されるのは、ギャグなんかではないはず

先輩を『ギャグで』実験台にしてるの、マジでなんなんでしょうね。先輩いじって先輩を笑いのタネにしておけば良いっていう、いじめみたいな脚本思想についてはいつものことだからもう良いですよ。良くないけど今はその話はしないよ。

 

先輩の他にも被害者いるの、覚えてる?

 

他の被害者も治さないといけないんですよ? 仲間内の被害者が先輩だけで、他の被害者に投与する前に治験を頼めるのが先輩しかいないんだから、シリアスに実験台になってもらわないといけないところなんですよ。ギャグで実験台にしてニヤニヤしてる場合なんかじゃないんですよ。マミーモン立ち会いの元でシリアスに治療薬を実験すべき状況なんですよそれは。この際、マミーモンはボイス無しでも良いからさ。

 

で、それはギャグオチの短い尺で済ませるようなシーンじゃないんですよ。ギャグオチ扱いで描くようなシーンじゃないんだよ。

はー……制作スタッフ絶対、『先輩以外の被害者』のこと忘れてただろ。

 

結局、人間の被害者が出てることも、デジモンが一人死んでることも何も気に留めてないから最後にあんなおふざけエンドができるんですよ。

デジモンが一人死んだ直後で、先輩と同じように身体が植物になって今も苦しんでいる被害者がいる状況で、被害者の一人である先輩を「さっさと人間に戻りましょうw」なんて馬鹿にして笑いながら、冗談みたいに治療薬を試す。不謹慎だと思わなかったんでしょうかね。

 

まあ、ヒロ(とルリ)はいつでも不謹慎だし人命を軽視している奴だと言ってしまえばまっことその通りではありますけどね。

 

だいたい、先輩が植物化してるのをほぼ誰も気にしてないのも酷いですよ。特にヒロは危うく自分も同じ目に遭うところだったのに。ジェリーモンの「ダーリン! なんておバカさ!」は逆に愛情表現なのだと思ってなんとか目をつぶりますが、他のメンバーが彼を心配する声かけひとつ立ち回りひとつもしないのは何。あんたら、仲間なんですよね?

 

 

■ルリパシリ(定例)

ルリはもう……もう良いですか? 同じこと毎回ツッコんでるんで短めにいきますね? 

パシリばっかやらないでほしい。

 

怪異情報を募集するのは良いよ。けど、解決を担当する前提で情報募集してて、解決にヒロや先輩やデジモン達を駆り出す前提なんでしょ? ちゃんと事前にヒロや先輩にその旨を頼んで同意を取ってほしい。ヒロ、あの反応は多分、「事前に何も聞かされてなかった(けど話を合わせた)」だよね?

 

仮に同意を事前に取っていたとしても、『自分のフォロワーのため』を強調しまくるのやめてほしい。なんなの、ヒロ達・先輩達を自分の欲望に利用していることを隠そうともしないその態度。ほんと害獣だよ。

 

ルリにしても巻き込まれてなあなあで付き合うヒロ・先輩にしても、あんたらの思うところの『仲間』とか『友達』ってなんなの。何、その利用するか利用されるかの関係。

 

 

■主人公たちが空気だから良回なだけ

書き始める前は真面目に良い点も長文で書こうと思ってたんですけど、なんかここまで書いてたら馬鹿馬鹿しくなったのでやめます。

 

だいたいね、今回が見やすくて良回なのって『主人公達が空気』だからなんですよ。主人公が空気だから話が取っ散らからないし倫理観も低くならない、それだけです。そう言いつつ、外野に追いやられている主人公達を見るといつもどおり倫理観がないです。ルリはパシリをするし、先輩はいじめられるし、デジモンが死んでてもほとんど意に介さないです。

 

良いところを述べようと思ったら、一回こっきり単発ゲストで再登場もこの先思い出されることもろくにないと思われる優人とアヤタラモンについて延々述べることになります。虚しいです。

 

 

■そのほか

・身も蓋もないツッコミですけど、デジモンの世界には恋愛すらないんですかね。アヤタラモンが恋愛のことが分からなくて人間の知識を得て自分の気持ちを『恋愛』だと判断したというのは、そういうことですよね。


・ところで主要キャラよりゲストのほうが人間とデジモンで濃い感情交流をやろうとするのは一体なんなんですかね。主人公たちと関係なくデジモンと友達になってた子供とか、今回の人間を恋慕して暴走してたデジモンとか。

 

・ヒロのピンチを遠隔で察知してセコムするガンマモンの描写、個人的には鬱陶しいです。迷惑をかけるときと良い子ちゃんにしているとき、セコムモードで駆けつけて守ってくれるときとチョコで釣らないと動かなかったりチョコ優先で動いて厄介ごとを呼んだり人を守るのを放棄したりするときと、極端なんですよね。ときどきセコムモードを見せておけば言い訳になると思わないでほしい。

あと単純に、特に理由なく『遠隔でピンチを察知できる』の、ご都合主義だと思います。脚本の都合でピンチ察知が発動したりしなかったりしてる気がするし。