『デジモンゴーストゲーム』第13話「処刑人」:振り返り感想①
『デジモンゴーストゲーム』第13話「処刑人」の感想①です。
なんか、途中で気力が尽きてしまったので、途中までです。
他のみなさん、感想どうだったんでしょうね。
自分は「ワーストを更新した」と思いましたが。
※この記事は初見当時に他媒体で書いた感想を元に、後から再構築したものです……と言いたかったんですが、「情緒的な話(=本筋)は今は言及する元気がない」と書いてあった+本筋に関係ないどうでもいいツッコミが残されていたぐらいでした。思い出して書きました。
逆に、当時の感情をめちゃくちゃ覚えてて自分で引いたし、当時の感情を思い出して書いてるだけなのに怒りが激しすぎて自分で引いてる。
■人間は殺さない、デジモンは殺して良い、そういう作劇
ここまで意地でもテコでも不自然でも人間殺さねえってやってきたのに、デジモンだと殺害を厭わないこの作風どうなんだよほんとに。最悪だよ。ほんっとうに最悪だよ。1人とか数人ならまだしも、今回の1話だけで1001人死にましたけど?
そのノリで死ぬならコタロウは第1話できっちり死んどいたほうが良かったんじゃないの。あいつ、ホラー映画なら序盤でヘイト稼いでさくっと死ぬモブ役でしょ? そのノリと理屈で行くと、悪いけど第1話の冒頭の被害者女子モブちゃんも死んでおくべきだった。
今まで、デジモンの出す被害が深刻なのに最終的に見ると人間は何故か死なない、被害を止めるためにデジモンを倒す=殺すこともしない(不殺を心に決めているのではなく、毎回毎回都合の良い偶然が働く結果『殺さないで済んでいた』だけ)と、ヒロ達も制作スタッフも命や死について真面目に考えてこなかった結果がこれです。
人間は死んじゃダメだけどデジモンは死んでいい。
数字として、ゴミみたいに死んでいい。
そういうことです。
デジモンに人権とかそういう言葉を使うのも変なのかもしれませんけど、
人権とか、
人間と同じように個人の人格を尊重されるとか、
そういうのってないんですね。
人間とデジモンの扱いの差が酷すぎるだろって言ってる。
対等な相棒じゃないんですか?
対等な相棒の、属する種族の扱いがこんなに差が酷いのってありなんですか?
何回か過去記事で言ってるように自分は『ゴーストゲーム』がメガテンノリの殺伐さでばかすか人死にが出れば良いって思ってるほう(※これはこれでだいぶ変)ですから、人間が死ぬのがダメ、デジモンが死ぬのがダメって言ってるわけではないんですよ。
人間はいままで鉄壁ガードと謎の超回復で、不自然なまでに絶対死ななかった。回復不能だろう後遺症を負ったと思われる人達まで、事態が一段落したら何故か事件の影響が消滅して全回復した。
デジモンはゴミみたいに1001人死んだ。
その差が、あんまりだろと言ってる。
今までに人間の死者がちょこちょこ出ている描写だったら、
ここまで怒らなかったと思う。
別にはっきり「死者が〇人出ました!」と言えとまでは言わないよ、
「ああ、この描写ならつまり、この人たちは……」と思えるぐらいで良い。
それだけでも描写があればここまで怒らなかったと思う。
というか不自然な超回復がないだけ(=そもそも死ぬような事態は今まで発生してなかっただけ)でもだいぶ違うと思う。
今回の死亡者が、
デジモンだけだけどボコモン先生を含めた数人だけだったとか、
人間も同数ぐらい殺されてたとか、
そうだったら、ここまで怒ってないと思う。
まあ人間がそんなに殺されてたら社会が大パニックになると思うけど……。というか、あれだけ殺されててデジモン社会(人間世界に出てきちゃったデジモン達の自助コミュニティ)が大パニックになってないのはおかしいけど。
えっとね。なんというかね。
人間とデジモンが対等であることを信じていた。
いや、ほんとは、過去シリーズ見てたら「スタッフは明らかに優先度が『人間>デジモン』だな……」とは思うんですけど。だからこれは信じていたというか、『それでも信じてたかった。それでも信じていたい』という話なんですけど。
今作のデジモンは、人間に被害を及ぼす危険な害獣です。人間と常識が違いすぎていて、何を考えているかわかりません。油断のならない存在です。
でも、人間たちの隣に存在しています。存在している限りは折り合いをつけていかなくてはいけません。共存していかなくてはいけません。その『折り合い』『共存』というのが、あるいは「対抗するためにある程度までデジモンを駆除する」という手段になるかもしれません。でも、とにかく、努力して折り合いをつけ、同じ世界で暮らしていかなくてはなりません。
人間とデジモンの『折り合い』。『共存』。
ゴーストゲームの世界でそれらがどのような結末を迎えるか、自分はそれが見たい。
別に積極的に『共存』を今作のテーマにしてほしいというわけではありません。
ただ、人間と、人間と全く違う常識を持ったデジモンという異文化の衝突でもあるこの物語が、最終的にどこに落ち着くのかを見たい。
その中でデジモンをパートナーに持った人間……いやパートナーと作中で言われたわけじゃないし正直パートナーなのかよく分からないけど過去作を踏襲するかぎりパートナー……とにかく、デジモンをパートナーに持った人間であるヒロ達が、どう関わっていくのかを見たい。どう立ち振る舞っていくのかを見たい。
その願いを、脚本のメタレベルでぶっつぶさないでほしいんですよ。
本当に何。
何なの、この、「ヒロとガンマモンが~」とか「ルリとアンゴラモンが~」とか「先輩とジェリーモンが~」とかいう以前の前提のレベルの、メタレベルでの格差。
「脚本が殺しちゃいけないと思ってるほうの種族」「脚本が殺して良いと思ってるほうの種族」という酷い格差。
書いてて疲れてきました。悲しい。
そんな細かいとこにこだわってて異常な奴だ? はい。そうです。とてもそうです。
でも悲しい。
もうちょっとあるんですが一旦切ります。
あとさあ、詳細は次の記事にしますが。
ここまでキレてるのは、
ボコモン先生の殺し方、ボコモン先生の死を悲しむガンマモンの描写がひたすら雑。というか、悪い。
ってのもあるのでそれも踏まえてもらえるとありがたいです。
怒りと悲しみで腹が痛い。