灰色の本

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『デジモンゴーストゲーム』第13話「処刑人」:振り返り感想③

デジモンゴーストゲーム』第13話「処刑人」の感想③です。

「これ以上の言及をする気が起きない」って言ったのにこまごまと分割した記事を書くのもどうかって感じなんですが、日を空けたらちょっと元気が回復して、別の論点が頭に浮かんできたので書きます。

 

※ここまでの『デジモンゴーストゲーム』の一連の記事は初見当時に他媒体で書いた感想を元に後から再構築してるものなのですが、今回は完全に後付けの新規感想です。(読む人にはどうでも良いことでしょうが)

 

 

 

■シールズドラモンとグルスガンマモンは『悪』なのか?

第13話の録画をかけ流しにしながら、確認のために第13話感想記事①②をぼやぼや読み返してて思ったんですよ。

 

あれ……?

 

シールズドラモンとグルスガンマモンって、何が悪いんでしたっけ?

 

だってもともと、今作のデジモンって、害獣……ですよね。いや、害獣っていうのは自分が勝手にコンパクトに言おうとしてその言葉を使ってるだけですけど、とにかく、

・人間と同じ価値観や常識を持っていない。

・人間の迷惑なんて基本考えない。

・個体差はあるが、人間のこと多分おもちゃとか虫けら程度に思ってる。

百鬼夜行回からすると、同じデジモンの迷惑も基本考えない。

・人間の善悪で推し量るのが難しい。

こんな連中ですよね。今作のデジモンって。

 

『殺害』がダメって、人間の価値観じゃない?

 

あれ? デジモン的には『殺害』はどうなんですか?

にわかなんで今回説明されたことだけから漠然と判断しますけど、シールズドラモンってつまり暗殺(殺害?)がアイデンティティであるよう生まれてきたデジモンなんですよね? それが生きる意味なんですよね。

そりゃ他のデジモンの反応から見て、デジモン達のあいだでも『殺害』は忌み嫌われてるのでしょう。でも、デジモン一般の話じゃなくて、『シールズドラモン種』からしたらどうなんですか? 『殺害は美徳』なんじゃないでしょうか。

これが『暗殺者や兵士として育てられた人間』が「俺の生きる意味は殺しなんだあ!」って主張してるって話だったとしたら、「うるせえそんなのは環境による洗脳だからさっさと更生しろ」って話になります。でも、デジモンにその理屈って適用してオッケーなんですかね。

 

いや、そこまで小難しい物言いをしなくても……。

デジモンたちって法律とかがそもそも無いっぽい存在だから、チカラisぱわーな世界で生きてるんじゃないんですか? 武力(戦闘力)がすべてで、武力で勝ったものが言うことを聞かせられる的な世界観なんじゃないですかね?

グルスガンマモンも「食うか食われるかだ」って言ってたし、そういうことじゃないですか?

じゃあ、被害者デジモン達に『武力で勝った』デジモンであるシールズドラモンの殺害を非難できる根拠ってなんですか?

 

 

『今作のデジモンは人間と違う価値観の持ち主であり、人間の善悪で推し量ることが不可能な存在である』

この前提があるせいで、シールズドラモンの殺害を正当性を持って非難することが困難になっている、気がするんですが……。

 

そしてそれはつまり、

シールズドラモンを殺したグルスガンマモンについても正当性を持って非難することが困難になっていると思うんですが……。

 

………?

この世界観の殺伐とした前提だからこそ逆に、シールズドラモンなんて出して良かったんですか?

倫理観的に、子供向けアニメでは手に負えない題材をうっかり触っちゃったんじゃないですか?

 

 

もっとツッコめば、仮にそこまで考えてスタッフが作っていたとしても、

人間である我々(視聴者)とだいたい同じ価値観であるはずの人間の子供がばかすか軽犯罪をする(しかも反省しない)ことが続いているので、今から殺しはダメだなんちゃらかんちゃらという話をしても説得力がかけらもない気はしますが……。

 

 

■そのほか

・身もふたもないですけど、殺人鬼狩りなんていう物騒なミッションに戦闘力が露骨に低いボコモン先生を連れてっている時点で『(作中目線では)考え無し』『(メタ目線では)ご都合主義』だと思います。

 

・ボコモン先生はガンマモンという子供を庇って、聖人として亡くなりましたね。ボコモン先生、安らかに眠ってください。

それはそれとして、ボコモン先生がどうしてそこまでガンマモンを心配していたかとかの細かい心情を描き込まず、ボコモン先生に『聖人』というキャラ性・役柄を押し付けて、「とりあえずボコモン殺せばガンマモンが悪堕ちするだろう」程度で殺したスタッフはほんとに倫理観がイッてると思いますが。

 

・「ヒロ達は人間とデジモンの橋渡し役なのかもしれない」ボコモン先生の考え。……こういうのは、どうしてそう思ったかっていう過程もちょっとぐらいは触れてくれないと御都合主義とか主人公至上主義(何もしてないのに周りのサブキャラが主人公を持ちあげる)になると思うんですけどねえ。

なんでボコモン先生と友情を深めるボコモン先生メイン回を作ってそっちの回のほうで「人間とデジモンの橋渡し役なのかも~」ってそう思った理由のエピソード付きで言わせることをしないかなあ。

好意的に見ると、デジモンと人間が一緒に行動してるだけでめちゃくちゃ珍しいとかそんな感じなんでしょうけどね……。

 

「悲しき別れ、乗り越えし時、これすなわち、デジモンの真の歩みの始まりとなす……」ボコモン先生が死んだのに呑気にいつもの謎格言を言い始めるアンゴラモンさんには引いたし、そこに(普段は大して乗らないのに)「かもね」と反応するヒロにもドン引いた。なんなのこの人たち。

 

・クールの切れ目なのでED曲がこのタイミングで変わるのは仕方ないんでしょうけど、いやあ、この話の内容で突然に「キミのことひたすらにぶっちゃけ惚れていた♪」って歌い出すのヒキますしキテますね……。

ていうか、第13話の話に合っていないだけじゃなくて『ゴーストゲーム』全体の作風に合っていない気がしますが……